この記事では、一般の人々に向け、「同じ事を繰り返さないための、皆が閲覧できる記録としての論文」の重要性を述べ、執筆の大変さを愚痴ります。
同じことを繰り返さず、未知領域を開拓する、これが研究を効率的に進めるために大事な事です。
(個々の内容は、分野によっては異なるかもしれません)
新人研究者「この前学会発表したんやで」
一般人友人「おお、すごいやん」パチパチ
新人研究者「この前論文出したんやで」
一般人友人「ほーん、で?」ハナホジー
なぜなのか?(´・ω・`)
本記事の内容
- 一般人と研究者の論文認識
- 論文執筆の困難
- 論文投稿過程の困難
- 参照記事
一般人と研究者の論文認識
一般の人々が研究についてイメージした時、思いつくのは有名な研究者や、研究成果です。
上記の対話文に挙げたように、研究者が、成果としての論文を周囲の一般の人々に強調しても、なかなか理解されません。
一方で、科学や他の学問(つまり知識体系)は次のサイクルを繰り返す事で構築されています。
(科学)知識体系の構築サイクル。問題の認識がスタート地点。 |
- 論文を読む(問題を認識する)。
- 研究して結果を出す。
- 口頭発表して、論文を書く。
過去数百年間、研究者が入れ替わりながらもこのサイクルを繰り返す事で、科学は成長を遂げ、現代の私達はその恩恵に預かっています。
広く知られて欲しいことは、「研究して結果を出す」段階がこの構築サイクルの途中であることです。
海外と後世の研究者に研究結果を伝えるためには、最後に論文を書く必要があります。
個人的な経験の範囲ですが、研究者個人の論文を書く動機として、「論文を書かないと業績にならない」と聞いた事がありました。
これは研究者個人としては正しい動機ですが、「知識体系の成長=論文の積み重ね」なので、論文を書く事には個人的利益以上に大きな意味があります。
私は「知識体系の成長=論文の積み重ね」を明示的に教えられた事はありませんが、指導教官や先輩たちとの議論雑談の中で理解は進みました。
論文を何度も出し、自分がしている研究の意義を考えれば、論文の重要性はさらに理解が進むでしょう。
学会や研究会での口頭発表は、「構築サイクルの中間段階での発表」です。
その次の論文を執筆する段階では、それまで見落としていた点や、文章を書きながら自分でも疑問に思う箇所が出てきます。
これが結果の補強になったり、結果を壊す致命的な一撃になったりします。
科学(科学者)の在り方として良く聞く言葉は、「巨人の肩の上(Wikipedia)」です。
先人たちの論文があればこそ、それを参照して、先人たちと同じ研究を繰り返さずに、私達は新しいステージの研究ができます。
そして、私達も研究成果を論文にまとめ、次のステージの研究が導かれます。
研究者が死んでも、論文は残ります。
論文執筆の困難
このように、人類の知識体系を形作っている論文ですが、その執筆作業と出版には困難があります。
まずは、私が経験した科学論文執筆の困難について書きます。
(科学)論文の書き方については、本も出ていますし、WEB上の記事も多くあります。
これらの存在が示している事は、大学院までの教育が論文を書くために不十分、というよりも、科学論文の執筆がある種の特殊技術なので必要になったら学ぶ、という事です。
例えば、論文執筆の大枠は、以下のとおりです。
- 論文の形式的な構造。(論文#体裁、Wikipedia)
- 文の構造。(例、主語は小さく。接続詞とカンマによる二文の接続を多用しない。)
- 慣用句、頻出表現の習得。
これらの習得がなかなか困難で時間がかかります。(私の能力は置いとくとして)
「知っている」と「身についている」は全く異なる状態であり、後者は知識と技術を使いこなす事ができます。
論文の執筆技術は、料理や自動車運転などの他の技術と同様、失敗を繰り返して経験を積めば、身につきます。
しかし、教室や学校のある料理や自動車運転と違って、論文執筆は実戦で身につける事となります。
現代日本では免許を持たない人間による物損事故は頻発していませんが、研究者の世界では論文未経験者による論文の第一稿はほぼ原型をとどめないでしょう。
このように慣れが必要な論文執筆ですが、文芸作品のように毎回大きく異なる構造で書く事は無いので、慣れると楽になります。
それでも、文をひねり出して、推敲して、簡潔で読みやすい文構造に改善するには時間を要します。
それでも、文をひねり出して、推敲して、簡潔で読みやすい文構造に改善するには時間を要します。
我々人間の、情報の入力と出力の差は明白です。(頭の中の情報を他人に伝えるのは大変です)
余力のある研究室なら、指導した院生ポスドク教官のいずれかが書きますが、必ず出る訳ではありません。
論文が世に出るまでの困難
論文執筆は大変ですが、論文を世に出すための査読過程もなかなか困難な過程です。
この困難さが論文の質をある程度保証し、「繰り返さない」事につながっています。
例えば、「論文 雑誌 投稿 過程」で検索すると、様々な分野での論文投稿の流れや規定に関する情報が出てきます。
またWikipediaの「査読」では、査読過程が説明されています。
この図は、私の経験した査読過程の図示です。
Wikipediaの記事の内容と(ほぼ)同じです。
このような査読過程を経験した雑誌は、次の三誌です。
- Publications of the Astronomical Society of Japan (日本天文学会の英文雑誌)
- Astrophysical Journal (アメリカ天文学会の雑誌)
- Astronomy and Astrophysics (ヨーロッパ地域の雑誌)
共同執筆者としては他の雑誌にも出してます。
上の図にあるように、査読過程は筆者、雑誌の編集者(エディター)、査読者(レフリーあるいはレビュアーとも言う)の三者で構成されます。
編集者は、年配の経験豊富な研究者で、適切な査読者への依頼、筆者と査読者のやり取りのコントロールなどをします。(任期付きの無給)
査読者は、論文の主旨と似たような事を研究している研究者です。(編集者が適切な査読者をみつけることも大変で、酷いと一ヶ月程度かかると聞いたような)
雑誌によっては二人以上の査読者がつきます。
査読者の重要な役割は、論文を批判的にチェックする事です。
先行論文の追加提案、観測手法・解析手法・結果についての疑問点の列挙、議論の提案などを行います。
この疑問点の列挙が重要で、研究に無関係な査読者が感じた疑問点を解決する事によって、論文の内容は多くの人に分かりやすいように改善されます。
疑問点の解決は、時間を要さず簡単にできるものから、吟味を要するものまであります。
この疑問点を解決できない、あるいは誤りが見つかり、時間のかかる大きな修正を要するなら、論文は掲載却下となります。
投稿過程にかかる時間は、一度の査読で論文が受理(雑誌掲載許可)される場合で2、3ヶ月、よく話に聞く長い場合で1年程度、もちろんそれ以上かかる事もあります。
順調な場合は、査読者の質問に2、3回答えて、半年程度で論文が受理されるでしょうか。
査読者からのコメントは論文の質を高めるために必要ですが、最終的に掲載するかどうかは編集者の判断です。
査読者がおかしなコメントをし始めたり、筆者と査読者が感情的な対立をする事もあり、これは編集者がコントロールすべき事柄です。
共著者がいれば、筆者側の感情的なコメントはたいてい無くなります。
私はおかしなコメントをする査読者に当たった事がありますが、途中で査読者降板となり、編集者が査読者になった事があります。
人間のやる事で、忙しい最中に降ってくる仕事ですから、色々起きます。
参照記事
「研究 論文 重要性」でGOOGLE検索して、3ページ目までに出てきた、主旨が本記事に近い記事。
社長メモ「科学における論文の重要性」(理化学研究所の戎崎さんの記事画像、エッセンスはその通り)
学術論文の意義(東北大学、工学部、、、、藤掛・石鍋 研究室)
「論文 意義」で検索すると、「その論文の意義付け」みたいな記事が多い。
この検索結果で興味を持ったのはこちらの記事。
論文のすすめ(日本大学、高山忠利、医者と論文について)
多忙な医師たちの研究者としての側面が興味深い。
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