1.学術研究の意義(文部科学省、学術分科会、H21?22?)
【認識科学と設計科学】
> ○ 学術研究については、その概念を整理して議論を進めていくことが重要である。たとえば、あるものの探求である「認識科学」と、あるべきものの探求である「設計科学」の2つに分けて捉える考え方がある。【第2回】
> ○ 「設計科学」と「認識科学」という概念は二極的な分類概念ではなく、設計科学は認識科学にとってモデルを提示するもの、設計科学は認識科学の問題意識に対する回答となるものというインタラクティヴな関係に留意すべきである。【第2回】
この未成熟な概念を述べる必要があったのか?
この二分法については、こんな形で議論をするのではなく、まずこの両者の在り方を説明して、どう使うべきか、どこが有用なのかを説明して欲しかった。
周知される側が知りたい事は、「この分類が何の役に立つか」である。
それが明確にならないのならば、異分野間の共通理解の俎上に載せるべきではなく、専門家の間の議論を進めるべきに思う。
議事録もちらっと読んだが、当時の時点でさえ時期尚早という印象。
そしてこれが10年前の会議の内容で、この「設計科学」と「認識科学」という言葉が現在の日本の科学者全体に(おそらく)広まっていない時点で、この分類の現時点の評価は定まっている。
周知される側が知りたい事は、「この分類が何の役に立つか」である。
それが明確にならないのならば、異分野間の共通理解の俎上に載せるべきではなく、専門家の間の議論を進めるべきに思う。
議事録もちらっと読んだが、当時の時点でさえ時期尚早という印象。
そしてこれが10年前の会議の内容で、この「設計科学」と「認識科学」という言葉が現在の日本の科学者全体に(おそらく)広まっていない時点で、この分類の現時点の評価は定まっている。
【基礎研究と応用研究】
> ○ 基礎研究という概念については、第3期科学技術基本計画にあるとおり、「研究者の自由な発想に基づく基礎研究」と「政策に基づき将来の応用を目指す基礎研究」の2つに分けて捉える考え方が有効ではないか。【第2回】
「政策に基づく基礎研究」は、詰まり続けるのではないか?
理由は2点、自然現象の利用の仕方と、政策と基礎研究のタイムスケールの違い、である。
第一に、人間が自分たちの都合の良いように想像する事象は、自然界で引き起こす事が難しい。
しかし、自然界で起きている事象・法則を利用して、人間の生活を便利にする事はできる。
この方法は、人類が今までやってきた実績があり、何よりこちらのほうが早い。
過去に想像された「未来の生活、100年後の未来」がそのとおりに実現した例は、果たしてどれほどあっただろうか?
第二に、基礎研究の結果が出るまでに、政策が耐えられるだろうか?
しかし、政権が特色を出そうとするような政策の寿命は、その政権の寿命以下になる。(政党ならもう少し長くなるかも)
基礎研究のタイムスケールは多くの場合、政策のタイムスケール(数年)より長いだろう。
「政策に基づく基礎研究」は、詰まり続けるのではないか?
理由は2点、自然現象の利用の仕方と、政策と基礎研究のタイムスケールの違い、である。
第一に、人間が自分たちの都合の良いように想像する事象は、自然界で引き起こす事が難しい。
しかし、自然界で起きている事象・法則を利用して、人間の生活を便利にする事はできる。
この方法は、人類が今までやってきた実績があり、何よりこちらのほうが早い。
過去に想像された「未来の生活、100年後の未来」がそのとおりに実現した例は、果たしてどれほどあっただろうか?
第二に、基礎研究の結果が出るまでに、政策が耐えられるだろうか?
政権に関係なく、国土固有の問題(例、地震)なら基礎研究を続ける価値はある。
しかし、政権が特色を出そうとするような政策の寿命は、その政権の寿命以下になる。(政党ならもう少し長くなるかも)
基礎研究のタイムスケールは多くの場合、政策のタイムスケール(数年)より長いだろう。
> ○ 工学分野には、「基盤研究」、「応用研究」などがあり、それぞれに対して基礎というものがある。【第2回】
> ○ 森羅万象を解き明かしたいという動機に基づく基礎研究は、応用研究と異なり、研究成果が役に立つか否かといった価値判断とは一線を画すものである。概念の整理は重要ではあるが、研究者それぞれで捉え方が異なり、政策にどう結びつけるかとは別の話ではないか。【第2回】
この辺の基礎研究、応用研究、さらには工業製品化という、自然法則の発見から産業への流れは、国民が是非知るべきこと。
理学部での研究、工学部での研究、これらが社会にどう還元されるのか、それは教えられていない。
研究者たちもこの流れを意識する事無く、国民は知るはずもない、それが大学の環境悪化の一因ではないか。
この辺の基礎研究、応用研究、さらには工業製品化という、自然法則の発見から産業への流れは、国民が是非知るべきこと。
理学部での研究、工学部での研究、これらが社会にどう還元されるのか、それは教えられていない。
研究者たちもこの流れを意識する事無く、国民は知るはずもない、それが大学の環境悪化の一因ではないか。
> ○ 21世紀の学問という観点からすれば、これまでの人文科学、社会科学という学体系的な捉え方では対応しきれないかもしれない。学術研究は、基礎研究から応用研究に至る幅広い意味で捉えて議論を進めていくべきではないか。【第2回】
未だ起きていない現象をここで議論してどうなるのか?
> ○ 基礎研究と応用研究、認識科学と設計科学というのは静的な概念の整理に過ぎず、変化や可能性を取り扱うという研究の持つ動的な側面を見落としてはならない。【第2回】
静的な分類(枠組み)の中身は動的な研究で、中身が溢れたら新しい枠組みを名付けるだけの事で、それはこれまでにも人類の営みあるいは科学史の中で起こってきた事である。
研究者(科学者)を目指すなら、研究史(科学史)に興味をもつのが普通で、学部生院生時代に本を読むよね?
> ○ 研究者が自らの発想で応用的な研究を進めるのであれば、それは学術研究である。応用研究を進めるのであっても、そのための基礎となるような「何か」を見つけなければならない。例えば、微生物を使った抗生物質研究はまさに応用のための基礎研究であり、このような観点から、農学は基礎と応用が密接につながった学問領域と考えられる。【第5回】
もちろんこういうのもあり。(くらいしかコメントできない)
議事録をちら見していて、これだけは許せなかったので書いておく。
議事録の終わり近く、谷口主査代理のコメントの一部。
例えば、15ページにありますアルマ計画とか、ニュートリノとか、いろいろ、天文学研究の推進とか書かれていますが、これが明日の経済効果を生むとか、そういうような基礎研究とかいう観点から、おそらく理解はされないだろう。
この認識がおかしい。
電磁気学の歴史の概観()
現代社会は、電気の存在無しには成立しない。
では、この電気、発見当初から生活を便利にするものと認識されていただろうか?
もちろん答えはNOである。
何か、訳のわからない現象が見つかり、それを突き詰めて理解しようとした人達がいて、その後に実用化した人達が居て、その流れを受けて、現在のように便利な生活が可能になっている。
現代社会における電気の恩恵は巨大すぎて、これに比べれば、人類の知的好奇心をくすぐる全ての現象が生活の便利さに寄与するとは言えないだろう。
しかし、道具と技術の発展を次の段階に進めるためには、現在の私達の理解が及んでいないような何かが必要な事は、当然である。
この世界に何があるのかを知らなければ、当然、何が使い物になるかの判断もできない。
従って、「自然科学の研究は明日の経済効果を産まない」、この認識は、科学技術の歴史の不勉強の証明である。
本当に産まないと思うのなら、全ての基礎研究を即刻中止して、アメリカとヨーロッパにも科学研究の放棄を勧めるべきだろう。
「お前ら間抜けな事をやっているぞ」と忠告するのが人の道である。
その判断ができないなら、自分たちが理解していない何かが世の中にある、という事である。
この谷口さんも不勉強だし、研究者と国民の多くも不勉強である。
このような状況は早急に改善されなければならない。
さもなければ、日本人はいつまでも勘違いをしたまま、夏に雪を降らせようとし続けるだろう。
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学術研究の意義 #0 一連の記事について
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学術研究の意義 #2 【認識科学と設計科学】 【基礎研究と応用研究】
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