1.学術研究の意義(文部科学省、学術分科会、H21?22?)
学術の基本問題に関する特別委員会(第1回) 議事録
この記事では「学術研究の意義」冒頭の【学術の役割について】を取り上げます。
各節は、必ずしもある回の意見だけで構成されている訳ではありません。
【学術の役割について】
> ○ 世の中からは学者の数が多すぎるということや思ったほど成果がでていないということが言われている。この点を認識した上で、それでも学術・基礎研究が大切だという点について議論が必要である。【第1回】
国民から「学者の数が多すぎる」と言われる事について、国民に伝えるべき主張は無いのか?
「このような理由で学術・基礎研究は大事なんです」という自身の言葉はないのか?
> ○ 日本の国際競争力の強化という立場よりも、国際責務という観点で、人類の英知を生み出す基礎研究で日本がどれだけ貢献できるかという考え方をした方がよい。また、日本に人材を引き寄せるということを強調するのではなく、お互いに人材を供給しあうという観点が必要。【第1回】
正論。
ただ、基礎研究をすれば、人類の英知を生み出すという国際責務も果たせて、ひいては科学技術における日本の国際競争力も伸びる。
行動によって達成される目的1よりも目的2を言葉の上だけで優先させる事は、必要な事か?
> ○ 科学技術立国ということの前に、科学力を高める、またその前提として国の文化力を高めるという作業が基本的に必要。大学は、伝承と文化を生み出す場である。【第1回】
放埒な意見の代表例。
本当にその段階的な作業が必要なのか?効果があるのか?ただの自説なのか?もし必要なら、個々の具体的な行動の枠組みを提示すべき。
全く個人的な考えを述べるために会議に出ているのか、分野を代表する人間として会議に出席しているのか?
> ○ 自由発想研究が新しい発見や世の中を変革する力になるということや、教育や基礎研究の充実や、学術研究のインフラをつくるということには公共的な役割があり、そこに投資をしていくことが日本の力をつけていくことになるということについて、論理的な補強をして説明していく必要がある。【第1回】
正論。
> ○ 学術研究の意義は、自由発想という観点も重要だが、文化や歴史に対してどのような貢献が出来ているか、人間の持つ可能性の拡大にとってどれだけ重要かという視点も重要ではないか。【第2回】
これは学術の意義(の核)というよりは、恩恵を受ける側かつ出資する側の評価者(国民)の視点の一つに思う。ここでは議論しなくても良いのでは。
人類にとって学術(科学技術)の究極の意義は、人口を増やし、個人の寿命を伸ばす事。
そのために肉体的な健康、精神的な健康を維持する必要があり、そのために必要な要素がさらにあって、これらの要素を解決あるいは貢献できるものが学術として発達してきた。
文化や歴史に対してどのような貢献が出来ていたかを改めて考える必要はあるか?全く貢献しなかったものは、忘れ去られ、廃れたはずである。
文学絵画音楽は、もはや人類は捨てることができないだろう。
(大学における文学の必要性、評価方法は別問題である)
> ○ 学術研究は、教育と表裏一体であり、大学の先端教育は学術研究なしではありえないという視点が重要である。【第2回】
正論。でも大学の話はここで必要?他のセクションでは?
「~という視点が重要」という表現はそんなに重要か?
ここでは、「~は学術研究なしではありえない」ではダメ?
> ○ 政府主導のアカデミー型の学術研究に対して、大学等を拠点とするタイプの学術研究は、能率という点では劣るかもしれないが、大学の自治や、学生・大学院生の存在といった、大学ならではのメリットに着目して、大学を中心とした学術研究の意義を考えていく必要がある。【第2回】
意味不明。
「政府主導のアカデミー型の学術研究」とは何か?一般に普及した用語か?英語で通じる意味か?アカデミーとは何らかの学術拠点であって、大学などを意味するのではないのか?
「大学等を拠点とするタイプの学術研究が、政府主導のアカデミー型の学術研究に対して能率という点では劣る」というのはどういうことか?能率とはどういう評価基準か?金額的な能率を追求していけば日本はもっと繁栄するのか?
政府が具体的な課題を提示して、それを解決するから社会的な換金効率が良いというのか?その研究者たちは普段はどこで給与を得ているのか?政府が必要なときだけ都合よく現れるのか?
> ○ 教育と研究は切り離して考えることができず、研究の衰弱が、急激な教育の危機的な状況を生み出している。また、科学者の社会的責任についても議論が必要。【第1回】
10年前の前後、(大学の?)教育がそこまで危機だったか?
「科学者の社会的責任」、ここでの主旨に対して必要か?
「日本人の『責任論』」ほど無責任で無意味なものは無い。
> ○ 古典的な人文科学系の学問は、「自由」という世界を保証してもらうことに尽きる。自由で闊達な議論が学問の進展を保証する。しかし、自由とはいえ、公共的な存在の教育研究機関は、何らかの形で社会的な負託に応えるような仕事をする必要がある。この場合、政策形成に関する提言というような狭い形での社会の要請に応えるということではなく、社会的な課題に対する応答が十分にできることが必要。【第1回】
まさに正論。
「社会の要請」は、社会を発展させるために妥当なものか?
> ○ 学術研究の推進には、人文学から自然科学に至る知を産み出すことによる文化国家としての発展に欠かせないもの、技術革新を生むためのに欠かせない礎といった意義があるが、そういった感情論だけでなく、統計的な分析やそれに基づいた論理構築により、具体的な施策に結びつけていくことが重要である。【第2回】
「そういった感情論だけでなく」、感情論ではなく、人類の営みの事実でしょ。
なぜ感情論と事実が入れ替わるのか?
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