私視点での科学者と経済学者の根本的な違い。科学技術が進歩し、経済学が進歩しない根本要因。
| 科学者 | 経済学者 | |
|---|---|---|
| 数字に | 従う(負ける) | 従わない(負けない) |
| 「仮説と検証」サイクルやPDCAサイクルを | 回す | 回すことができない |
| 仲間、同じ立場 | 技術者、社員、経営者 | 政治家(、官僚) |
- 科学者、技術者、 経営者としては「数字に従う」ことが当然である。一方で、経済学者や政治家は「数字に負けない」。
- 数字に従わなければ、「仮説と検証」サイクルやPDCAサイクルを回すことはできない。
- この「負けない」には、感情的面子的な意味合いを込めている。
- 経済学は、政治(権力の奪い合い)との結びつきが深すぎて、失敗を糧にして次の仮説を構築することができない。「失敗」=「政治家と経済学者の信用の縮小」だからである。
- そしてこの政治との結びつきに由来するのか、経済学には「学閥」という権威構造が存在する。
- このため、効率的に「仮説と検証」サイクルを回すことができない。これが過去100年間の科学と経済学の進歩の差の原因である。
- 官僚についてはカッコ扱い。例えば、消費税を継続する財務省は明らかに数字に従っていない。しかし一方で、大半の官僚は数字に従って業務を遂行しているはず。
権力を対象にするとこうなる。
| 科学者 | 経済学者 | |
|---|---|---|
| 権力者の権力を | 縮小させる | 拡大させたい |
| 仲間 | 技術者(、経営者) | 政治家、官僚(、マスコミ、経営者) |
- ここで想定しているのは、400年前、17世紀の科学革命である。その中での、キリスト教の宇宙観そのものである天動説から、科学的な地動説への移行。これにより、キリスト教の権威と権力は縮小した。
- 私は、これを科学者の社会的意義の一つと考える。この役割は、全ての科学者が毎日果たすものではないが、時には意識して果たさなければならないタイミングが到来する。
- 私は、現在こそが、定量的な「経済現象」を権力から切り離し、数字に従って科学的に研究すべきだと考える。
- この科学的成果が生まれることによって、その効果の一つとして、日本では経済学者および財務省の権力が縮小すると期待される。
私視点ではなく、生成AI(Gemini)による科学者と経済学者の一般的な違いがこちら。
| 比較項目 | 科学者(自然科学) | 経済学者(社会科学) |
| 研究の対象 | 自然・物質 (分子、宇宙、細胞、重力など) | 人間・社会 (欲望、市場、お金、選択など) |
| 対象の性質 | 客観的で普遍 (人間の感情や意志に左右されない) | 主観的で不確実 (時代や心理、文化で常に変化する) |
| 実験の可否 | 実験室でコントロール可能 (条件を揃えて同じ実験を繰り返せる) | 現実の社会では実験不可能 (過去のデータやシミュレーションに頼る) |
| 予測の連動性 | 予測が対象に影響しない (「明日は雨」と言っても雨の量は変わらない) | 予測によって現実が変わる (「大不況が来る」と予測すると人々が買い控え、本当に不況になる) |
| 正解の基準 | 白黒がはっきりつく (実験データによって正誤が客観的に証明される) | 立場や思想で正解が変わる (「自由放任」か「政府介入」か、価値観が対立する) |
| 目指すゴール | 世界の真理(法則)の解明 | 社会の制御と最適な意思決定 |
- これだけ不安定と変化を全面に押し出されると、経済学者に経済現象を理解できるのか、疑問に思う。なぜなら、経済には安定的成長の側面も見られるからである。
- それとも、経済には安定成長など存在せず、政治家や経済学者たちの適切な経済政策がなければ、我々国民は正気を失って食事をせず、一ヶ月間で国家滅亡となるのだろうか?経済は、そのような類の事象だろうか?
- そうでなければ、実は経済の大部分は、科学者が定量的に解明できる領域なのではないだろうか?例えば、上記の「対象の性質」や「予測の連動性」、「正解の基準」について、経済は科学寄りの性質を持っているのではないか?
- 私は、国家経済が定量的な事象であると考える。この定量的な事象に対して仮説を構築し、検証を繰り返すべきだと考える。読者は、これに同意しますか?
- 私は、政治権力と結びつきの強い経済学者たちが、100年以上以前の仮説に囚われて、科学のように「仮説と検証」サイクルをまわすことができていないと考える。読者は、これに同意しますか?