2018年11月16日金曜日

「実学」と「虚学」は、廃語になるべきである


実学(Wikipedia)

2018/11/15のページ。他言語ページへのリンクは無い。


記事の内容

  • 実学と虚学の区分から得られるモノは?
  • 段階ごとの研究目的
  • 未来は不明
  • 人類の資産としての基礎科学の研究成果
  • 外国では?
  • 政府による選択と集中
  • 日本の科学者の取るべき行動は?
  • 追記、科学技術基本計画


項目書き出したら長いな。分割するかも。




実学と虚学の区分から得られるモノは?


「実学と虚学」という区分には、何の利益があるのだろうか?

はっきり言えば、この区分の存在は、現代社会で科学技術の恩恵を浴びている日本国民の、科学技術への理解の無さを表している。

家に帰ればスイッチ一つで電灯がつき、テレビから情報と娯楽を得て、スマホやゲーム機を年中いじくっているにも関わらず、実生活に直結しない、お金にならない研究を「虚学」として軽んじる。

これは、世界中に自分たちの無知を晒す行為に思える。(幸いにも広く知られてはいないようだが)


「実学と虚学」という区分が役立っている例があれば、知りたい。

おそらくそんな例は無く、これらの語句の使用は精神的自慰行為以上の利益をもたらさず、これらの語句について真面目に考えることは時間の浪費である。



段階ごとの研究目的


「実学と虚学」に代わって、人々が知るべきは各段階の研究目的である。


世の中には、生活に役立つ実学と役立たない虚学があるのではない。

人間が物事を利用する際にはいくつかの段階が存在し、段階に応じた研究目的が存在する、それだけの話である。

人間の生存戦略は道具の発明改良である。

道具の発明改良のおおまかな段階は、自然法則あるいはそこから生まれる事象を認識し(例、石は人間や動物の体より硬い)、それを利用して原始的な道具を作り、さらにそれを改良させる、という事である。

虚学という認識で、この自然法則やそれに準ずるものについての学問を軽んじる、お金をかけないならば、それは根本的に新たな発明を重要視しないという事である。

それを良しとするならば、ここ100年200年の研究成果を放り出して、電灯を使わず、ランプやろうそくで生活すればよい。

耐震設計がなされた気密性断熱性の高い家はもちろん、車も薬も、品種改良によって可能になった安定した食料供給さえも放り出してしまえばよい。

江戸時代以前の生活水準に戻して、干ばつや大火、地震、台風と付き合えばよい。



未来は不明


実学と虚学を大事にする人達が今一度認知するべき事は、「未来は誰の目にも不明」という事である。

どんな基礎研究が日常レベルの技術に結びつくのかは分からない、どんな技術が人々の生活を便利にするのかは分からない。


現在の我々の生活には、身近で便利な道具が必要不可欠である。

例えば情報伝達に関する電話電子メールその他は、現代社会の生命線と言っても過言ではない。

では、2000年前の人達は、2000年後の電話の存在を目標に研究をしただろうか?

400年前の人たちは、400年後のスマートフォンを目標に研究を進めただろうか?

もちろんそうではない。

電話に限っても、電気磁気の発見と研究と理解があって、ずっと後で電話を発明した人たちがいて、さらに企業が製品の開発改良(ネットワーク整備も?)をしたのである。

自然法則やそれに準ずるものの基礎研究が行われている間、それがどのように活用されるかは予測がつかない。

さらに、どんな技術が利益を生むかはほぼ不明である。(期待しても、おそらくほとんどが商業的に外れるか競争に敗れる)

現実には、未来は分からない。

現時点でお金になりそうな基礎研究と技術だけに注力すれば、日本の未来はもっと豊かになるだろうか?

今後も絶え間なく新たな発見・技術が生まれるだろうか?



人類の資産としての基礎科学の研究成果


科学技術について日本国民が特に理解すべき事は、基礎科学の成果が人類全体の資産だと言う事である。

我々日本人は、すでにこの人類の共有資産を活用し、日常生活の中でその恩恵に強く預かってしまっている

周りを見渡せば様々な道具が溢れている。

電気製品に限れば、その多くは日本製か中国製だろう。

では、その製品に使われている原理も日本製だろうか?

原理に関する研究資産の多くは、これまでの人類の歴史の中で、主に日本以外で蓄積されてきたものである。

この資産は現在進行系で蓄積され続けているが、日本がその寄与を減らしてもよいのだろうか?

日本が「即座にお金にならない基礎研究」に寄与しないとして、それでもこれからも基礎研究の資産を活用して技術開発を行い、商業活動を続けるのだろうか?

そこに道義的に恥じる事は何も無いだろうか?

この点について他国から尊敬を得られるだろうか?



外国では?


調べきれなかったが、書いておく。

上の図の説明にも書いたが、「実学」についての他言語ページは存在しない。

他の国で似たような考えは存在するかもしれないが、少なくとも日本の「実学と虚学」という認識は世界共通のものではない。

しばしばガラパゴス化と呼ばれる日本独自の進化・発展には、良い面も悪い面もあるが、「実学と虚学」という認識は後者である。

(日本が、欧米の基礎科学への認知に習わず、独自の認識に至った経緯は?)


実学と虚学って何でしょう  辞書で調べてみました(クマゾウ親爺の幸福論)

実学と虚学について調べる中でこの記事を見つけた。

上記の記事を読んでみると、例えば海外では、「Hard science」と「Soft science」という区分がある。(Hard and soft science, Wikipedia)

あると言っても、この区分が何か明確に役立っているのかは調べきれていない。

なお、この記事の日本語ページのリンク先が「文系と理系」になっているのは、全くの不適切だと思われる。(ましてや、文系と理系#4. 文系と理系とをめぐる観念的な印象、とか必要?)

ソフトサイエンスについての日本語記事はあるが、ちと心もとない。

ハードサイエンスについての記事は存在しない。



政府による「選択と集中」


近年の日本政府による「選択と集中」も、根底には同じ認識があるのではないか。

それは、実学と虚学、役に立つ学問と役に立たない学問、金になりそうな基礎研究と金になる事が全く期待できない基礎研究、という近視眼的な認識である。

そこで、研究資金の格差を広げて、日本と企業に役立つ研究を増やそうと考えているのかもしれない。

ただ、金になる研究だけをすれば日本(主に自分たち)が裕福になるというのは、都合の良い妄想だろう。

昨今の大学の苦境の遠因の一つは、科学者達が、100年以上に渡って政治家・官僚・企業経営陣・国民の「実学と虚学」についての認識を修正しなかった事であろう。



日本の科学者のとるべき行動は?


日本の科学者達は、「科学技術の正しい認知を広める」という仕事を果たしてこなかった。

筆者の20年近く前の大学院在籍時には、教授たちの話で「天文学は社会の役に立っています」という主張は聞いたが、その論理的な説明は聞いた事がなかった。

大学院の頃には「アウトリーチ」という言葉は聞いていたし、大学や研究機関の一般公開もあったが、社会における科学技術の意義についての話は聞いた事は無かった。

そういう認識をもった研究者はいたかもしれないが、大学院の時点で社会における科学技術の意義が当たり前に教えられる事、話に出る事はなかった。

この科学技術についての国民の認識の修正は、急務の一つである。(問題を解決すべき主体は科学者である)




追記、科学技術基本計画


科学技術基本計画とは、「科学技術基本法に基づき政府が策定する、10年先を⾒通した5年間の科学技術の振興に関する総合的な計画」である。(第5期の概要より)

平成7年に科学技術基本法が制定され、以降5年間の中期計画を繰り返している。(現在は5期目)

第3期の計画についての別紙、その第4章には「3.科学技術に関する国民意識の醸成」という節がある。

国民の科学技術への理解を深めるために必要と思われる事が書いてあるが、この記事を書いた後で読むと、全く不十分に思える。

先にも書いたように、現在の日本国民は科学技術の恩恵にどっぷり浸かった生活をしている。

科学館のような施設は私が物心ついた時にはあったし、小学生の社会見学などで訪れた人々もそれなりにいるはずである。

得手不得手はあれど、日本国民は小学生から自然科学(理科)を習い続けている。

日本は台風、地震などの自然災害も多く、近年では猛暑、大雨の深刻な被害も出ている。

結果、基礎研究(自然科学)に興味を持つ土壌は十分にあり、自然現象への一定の理解もある。

しかし、自然現象を研究したその成果が自分たちの生活を便利にしている事には、ほぼ気づいていない(関心がない)。

従って、今までと同様に単に現象とその原理を教えているだけでは、今後も国民による科学技術への期待や、自分たちが恩恵を受けているという自覚は、世の中に現れないだろう。

教えるべき事は、科学技術の研究には大きく区分されたステージがあるという事、そして科学技術がどういう変遷をたどってきたかという科学技術史ではないだろうか。





虚学仲間の文学ほかはノータッチにしました。

大学が苦境に陥り、スタッフの時間の無さを思えば、政府への干渉について日本の基礎科学は既に詰んでる気がしなくもありません。

大学院の頃からよく聞いた「天文学なんて研究して何の役に立つの?」のひとまずの答えが、この記事です。

労働者育成のための均質化教育の賜物か、日本人は労働とお金をシンプルに結びつけ過ぎていて、「即座にお金にならない基礎科学」がどれくらい現代生活を支えているのか、想像が及んでいません。




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