前回の記事の第3節で書いた私の主張、「人間にとって普遍的に理解しやすい情報の伝達方法」の存在が私の願望であるという自覚はあります。同時に、この願望は私の不満の裏返しです。私の不満は、「英語は科学論文執筆に適しており、日本語は適していない」という主張への不満です。
この英語適切日本語不適切の主張は、「科学英語論文のすべて 第2版 | 日本物理学会 」から知りました。科学者らしく質問しましょう。日本物理学会への質問は、「どのような仮説と検証を行い、その結論に至ったのか?」、です。
第1節では、この英語適切日本語不適切の主張に対する反論を述べます。第2節では、英語適切日本語不適切の主張の検証方法について述べます。
1. 英語適切日本語不適切への反論
私の反論は以下の二点です。
- 日本語であれ英語であれ、どの言語であれ、「最初に結論(範囲)を伝え、次に詳細を伝える」スタイルを選択することで、科学論文に相当する情報伝達を実践できる。
- 英語適切日本語不適切を主張する日本人研究者たちは、自身の観測範囲にいるテクニカルライティングに長けた欧米研究者とのコミュニケーションの結果のみから、英語適切日本語不適切を主張しているのではないか。
1.1 日本語でも英語でも科学論文は執筆できる
1についてですが、私だけでなく、多くの人が実践している行為を紹介します。英語論文、英語記事を作成する際、「最初に結論(範囲)を伝え、次に詳細を伝える」スタイルで日本語の文章を最初に執筆し、それを機械翻訳し、英文を調整します。実体験として、明らかに日本語でも科学論文のスタイルで文章を執筆できます。日本語に科学論文のスタイルを適応したら、その意味が理解できなくなるということはありません。
現在では、日常的なゼミ発表、学会や企業のプレゼンにおいて「最初に結論(範囲)を伝え、次に詳細を伝える」スタイルが採用されています。日本語でこのスタイルで発表されたら、内容を理解できなくなりますか?
英語において、逆もまた真なりです。英語において、理由や詳細から先に書き始めたら、それらの英文を理解できなくなるわけではありません。きっと結論に至るまでに、聞いてる人、見てる人はイライラするでしょうが。
これらの事実から導かれる結論は、次のとおりです。
×、「英語は科学論文執筆に適しており、日本語は適していない」
〇、「現在の英語の日常的な用法は、科学論文における情報伝達方法と親和性がある。現在の日本語の日常的な用法は、科学論文には適していない。」
この「現在の日本語の日常的な用法は、科学論文には適していない」ことの意味は、これまでの日本の文化として、その主な会話のスタイルが「理由を先に述べ、結論を後に述べる」、ということです。
繰り返しますが、日本語でも英語でも「最初に結論(範囲)を伝え、次に詳細を伝える」スタイルで執筆することは可能です。となると、このスタイルが何かしらの特徴、特性を持っていることが推測されます。私の主張では、この「最初に結論(範囲)を伝え、次に詳細を伝える」スタイルは、「人間にとって普遍的に理解しやすい情報の伝達方法」です。
1.2 日本人研究者たちによる日本語サゲ英語アゲ
冒頭の質問を繰り返します。「どのような仮説と検証を行い、『英語は科学論文執筆に適しており、日本語は適していない』という結論に至ったのか?」
1についてある程度の同意が得られるなら、2についてはそっと目をそらして、今後は触れないのが日本人の大人の態度かもしれません。とはいえ、日本物理学会の名前のもと、論文執筆教育の一環として情報を流布し、図書の出版によってそれなりの収入をあげていたのなら、一定の処置はすべきでしょう。
発展的解消としては、「最初に結論(範囲)を伝え、次に詳細を伝える」スタイルについて日本語と英語の差異を定量的に研究して、結果を日本物理学会の学会誌(和文)に載せ、「科学英語論文のすべて 第3版」として内容を改めて出版することでしょう。もっと言えば、たぶん科学技術系の人間にとって「最初に結論(範囲)を伝え、次に詳細を伝える」スタイルでの報告書作成(科学論文含む)はやって当たり前のことなので、その辺の社会普及、教育についてしっかり活動すると、日本物理学会としては、「ちょっとした不適切なミス」を補って有り余るような、社会的意義、社会的存在感を得られるのではないでしょうか。
いろいろ海外の学会にも出席して、その土地の人々と交流して、さらには映画や海外ドラマも楽しんで、どう考えても「英語すごいね!日本語駄目だね!」とはならない。どこも変わらず、同じぐらい優秀かつ同じぐらい愚かな、喜怒哀楽の人々がいて、日本語も英語もそんな人々が使っている言語にすぎない。英語の使用によって、何か良いことだけがあるとは到底思えない。
根本的に、「英語は上水道のように論理展開し、日本語は下水道のように論理展開する」という例えが気に入らない。執筆者たちは、どれだけの悪意を込めたのか。それとも軽いノリだったのか?
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