本記事の内容は、「マクロフロー経済学 3 貨幣循環の定量解析」の第3章の一部を含む。
本記事では、拡張された数量方程式を使って、GDPと国家予算が膨張する事を定性的に説明する。GDPと国家予算の長期的な膨張は、人口の増加、物価の上昇、財・サービスの増加の帰結であり、自然な事象である。そしてこれらの要素の増加は、科学技術の進歩と生産能力の増加に起因する。本記事の内容は次のとおりである。
- GDPと国家予算の膨張。
- 財・サービスの数量の推移。
この記事では、まずGDPと国家予算の膨張について説明し、人口と物価の推移から財・サービスがどの程度増加したのかを見積もる。GDPと国家予算の膨張の説明で利用される「拡張された数量方程式」とその論理的根拠である名目GDPの定義の統合については次の記事「名目GDPの定義の統合と拡張された数量方程式」で説明する。
1. GDPと国家予算の膨張
1867年の国家予算 3050万円
— tasan@所得倍増計画をもう一度 (@tasan_121) August 3, 2021
2020年の国家予算 103兆円
財務省「第1表 明治初年度以降一般会計歳入歳出予算決算」
154年で336万倍になりました。
平均増加倍率は10%ほど。
財源は?税収なわけないよね。
積極財政は歴史の常識です。
緊縮財政で減らせ?いやいや、それ非常識ですから。 pic.twitter.com/Dry4iVX8mq
GDPそして国家予算の増大は自然な事である。その根拠は、以下の拡張された数量方程式の右端の項である。
この項、N'PSは全消費者(全国民)が受けるサービスの総額を示している。ここで、N'は消費者の総数であり国民の総数、Pは平均物価、Sは消費者一人が日常生活において使用・享受する財・サービスの数量である。この財・サービスは企業が販売するものだけでなく、国防、教育、医療など、政府支出によって省庁や自治体が国民に与える財・サービスも含まれる。この拡張された数量方程式の意味は、例えば1年間の名目GDPは、貨幣循環の総額(MV)に等しく、企業が販売した財・サービスの総額(PQ)に等しく、全家計の収入総額(NO)に等しく、そして全国民が使用・享受した財・サービスの総量(N'PS)に等しい、という事である。
このN'PSの項が示す事は、GDPとそこに含まれる国家予算の増額は、人口の増加、物価の上昇、財・サービスの数量の増加を考えれば極めて自然な事象、という事である。上のツイートで示されている国家予算額の増加の歴史は、日本の人口、物価、財・サービスの数量の増加の歴史でもある。先に「自然な事象」と述べたが、これは国民の繁栄にとって自然、という意味である。
人口の増加は国家繁栄の根幹である。物価の上昇も、競争的な経済活動の真理と言ってよいだろう。そして財・サービスの数量の増加も自然な事である。なぜなら、科学技術が進歩し続けているからである。科学技術の進歩により、便利で高価な道具が出現し、産業の数は増加し、一人の国民が使用する財・サービスの数量は増加する。すなわち、より豊かな国民生活を目指すなら、国家予算額の増加は極めて自然な事象である。
思い浮かべて比較してほしいのは、江戸時代、明治終わり頃1900年前後、第二次世界大戦前、大戦後、そして現在の人々の生活、人々が使っている財・サービスの変遷である。汽車電車、自動車、電気と家電、安価な衣服、堅牢な家屋、そして現在のPCスマホの普及とインターネット、過去160年間に財・サービスはとても豊かになった。それを考えれば、GDPと国家予算額の増加は自然に思う。そして国家予算と人口、物価、財・サービスの膨張が自然ならば、逆にこの数十年間の日本の国家予算の停滞は、人口、物価、財・サービスを毀損していると言える。例えば、お菓子の内容量の減少は、財・サービスの毀損の一種である。
金本位制の時代、貨幣の発行量は政府が所有する金の量によって制限されていた。それ以前の時代においても、金銀銅の量が貨幣量を制限していたと言えるだろう。そしておそらくは現在の日本のような、技術進歩後の貨幣不足によって経済的な不安を招いた状況は、これまでの歴史でも何度もあったのではないだろうか。
現在の日本は管理通貨制に移行しており、インフレ率を除けば貨幣の発行量自体には制限はない。しかし、「通貨の発行は政府の借金であり、いつか財政破綻を招く」という理解し難い認識が、現在の日本の政治家官僚新聞社TV局経済学者たちに蔓延している。この認識は単なる思い込み、迷信の類である。科学的に検証された確固たる事実ではない。財政破綻のしきい値の存在など聞いた事は無いし、ありそうに無い。管理通貨制を導入している他国でもこのような予算の抑制は実施されていない。
この認識の誤りに気づいている人たちは、日本の経済状況を回復させるための意見を出している。それらは公共事業の増額や消費税の廃止であり、貨幣不足に由来する不況から脱却するための意見である。これらは適切な意見である。しかしこれらに加えて主張されるべき事は、「経済成長のため、国民が繁栄するためには国家予算の膨張は当然」という事である。現在の日本が経済的苦境から一時的に脱出するために貨幣が必要なのに加えて、それだけのためで無く、国家が経済を含む永続的な成長を続けるためには、国家予算と貨幣の増量もまた永続的に必要である。
2. 財・サービスの数量の推移
続いて、国家予算の335万倍の膨張に対応する、人口、物価、財・サービスの数量の推移を示そう。ただデータの精度が良くない事を述べておく。例えば国家の経済規模を測る指標は歴史的に推移しており、GDPによる測定については、日本では1953年以前のデータは存在しない。明治維新時や江戸時代の経済規模を精密に示すデータは期待すべくもない。
人口の推移については以下の図を参考にした。
これは国土交通省の平成24年度国土交通白書、第1章第1節の図表2である。明治維新の1868年を基準にすれば、現在の人口はおよそ3倍である。
物価の推移については以下の図を参考にした。
これは、個人ブログ「千葉の空」で紹介されているグラフである(該当記事)。明治6年を物価上昇率の基準とすれば、現在の物価はおよそ10000倍(1万倍)である。ただし、消費者物価である事に注意。
冒頭のツイートにあるように、明治時代を基準にすれば現在の国家予算は336万倍である。GDPにおける国家予算(政府支出)の割合が大きく変化していないと考えれば、名目GDPが336万倍に増大した場合、3倍の人口増加、10000倍の物価上昇から、現在の財・サービスの数量は明治初期のおよそ100倍になっていると考えられる。
この100倍という数字は、それほどおかしくはないだろう。大枠で言えば、例えば観光業、娯楽産業、物流、医療、情報技術の発達がある。細かく言えば、例えば上下水道電気ガス情報の各種ネットワークの整備、高速道路と自動車、新幹線、飛行機による高速移動のためのネットワークの発展、薬と医療器具、治療方法の発達、情報産業の発達、そしてそれらに必要な各種道具と部品の発達など、他にも多数の実例が挙げられる。現代社会に生きる我々が意識的に消費している財・サービスだけでも、江戸時代や明治初期の10倍では足りないくらいに思う。そして無意識的に受けているサービスでは、例えば宇宙開発や国防があり、そこで使われる道具の進歩も目覚ましい。
テレビ朝日のTV番組「アメトーーク!」では、時々「家電芸人」というテーマで最新家電を紹介している。そこに出てくる最新家電を見れば、現代の科学技術と企業の生産能力の高さを考えれば、GDPと国家予算が江戸・明治初期の100万倍になったとしてもおかしくは無いように思う。少なくともGDPと国家予算が明治初期の100倍や1000倍になった程度では、道路、鉄道、学校、病院、郵便局などが制度化され整備されているが、精密な電子機器が存在しない、そのような社会の実現が精一杯ではないだろうか。例えば、街頭テレビが存在するか?、という段階である。
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